子規の俳話に引き込まれ

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 晴れ。さぶ~い一日。朝のうち子規の「獺祭書屋俳話」「芭蕉雑談」を読む。おもろい本。漢字熟語が多く難しい言葉にたじろいだが、復本一郎先生の注釈に助けられ読了した。芭蕉句を「金科玉条にするな」とか「(芭蕉句の)過半悪句駄句」とかドキッとするようなことを言いつつ、「夏草や」句など「豪壮」「雄健」の句は芭蕉の右に出るものなしと高く評価する。「文学上の破天荒」とか「偉人」ともいう。23歳から7年間かけた「俳句分類」を総括し「発句は文学なり」と言い切る。近世プロの「月並み流」「月並調」を批判して、今日民衆の間に世代を超えて広がっている俳句愛好の日本を築いた祖だろう。岩波の文庫本。図書館で借りた。

 俳句は豪壮にも微細にも、滑稽にも華麗にも、幽玄にも奇抜にも、自在に人生を詠える文芸と知る。ちょっぴり頭の体操になった。昼は、とろろそば。午後、外出。寒さのせいか腹の調子に風邪かなと身構える。千里南公園の高木に鳴くイカルの声、千里北町街路樹のむら雀に出合う(写真下)。写真上は、千里みどりのさんぽみちにきょうも落ちずにがんばる渋柿たち。
          イカル鳴く枯木の天辺風強し 昇龍子
          子規俳話読んで夕飯柿三きれ 同